No.002
10-1

雨が降っていた。あの日、ドアに手をかけた男は、忙しく動く人々の群像の真ん中にすっと立ち、真っ直ぐにどこかを眼差していた。その立姿は、喧騒のような雨音よりも、庭園が織りなす静謐なムードに接続しているように思えた。そこは、しばらくしたら幕を挙げるショーの舞台である。いつ声をかけようかと踏みとどまっていると、彼は、こちらに気づき、こわばりのない顔つきで歩いてきた。心は、どうやら、穏やかなのだろうと感じられた。
 
布にはテンションがあるように、場所というのも、密度や張力によって性質がガラリと変わる。招かれた140名が、一人ずつ庭園内に誘われ、白布を纏った座席が埋まっていくにつれ、場所を構成する要素が増えれば増えるほどに、なんらかの張り詰めるものがジワリと溢れ出てくる。時間というのも、それのひとつだった。「あと、5分」。感覚的に、時間の速度が変わっていくような気がする。
 
鼓膜の奥の方に向かって、音が浸透してくる。やさしい風が吹く音と、砂利道を踏みしめる音が微かに聞こえる。透過するオレンジのコートを着た男が姿を現した。緊迫よりも解放に向かって、なだらかに、ショーが始まったようだった。
 
私は、時間の流れる音を感じていたのではないかと思った。細く、長く、強い音が、霧雨と煌々としたライティングによって視界が時折曖昧になりながら、深緑のランドスケープを背負ったモデルたちが、砂利の道を気立よく歩いていく。いくばくの、しかし、同等の距離をとって、重力には決して逆らわずに小花をぶら下げた彼ら、彼女たちがくる。その、総体としてのリズムが、時計の針よりも明確に、ええ、大袈裟にいうのなら、人々が息を吸って、吐いて、そうやって時間が経過し、できるならより良く生きようとしている現在形の“さま”を感じさせる。なんだか不思議なのだが、その歩き様と風采に、かのデザイナーの姿をオーバーラップさせていることに気づいたのはショーの中盤で、バケットハットをみたあたりだった。そうしてから間も無く、今もなお、私の心象の中には、憂愁を讃えるような、あの夕刻に感覚した複層的な音の連なりが残響している。
 


Words: Tatsuya Yamaguchi

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